郝景芳『人之彼岸』書評

 大野万紀

 早川書房「SFマガジン」21年4月号掲載
 2021年4月1日発行


 郝景芳(ハオ・ジンファン)の二〇一七年に出版された人工知能がテーマの最新SF短編集である。人工知能に関する長めのエッセイ二編と短編SF六編が収録されている。

 冒頭のエッセイでは、アルファ碁の話から始まり、ディープラーニングとビッグデータで代表される現在のAIの成果と限界について述べ、より本質的な人間の世界理解とAIの世界理解(の欠如)について分析していく。ある意味常識的だが、よくバランスのとれた納得のいく議論である。面白かったのは、作者はスーパーAIはネットワーク型の知性であり、ロボットの中に閉じた分散型の(人間のような)知性ではないだろうとしていることだ。でもそれは欠点ではなく、人間とは別の知性として互いに共存できるという。そして逆に、人間がそんなAIのようになっていくことに警鐘を鳴らしている。
 六編のSFではそこで述べられたテーマが展開されている。その中で特に印象に残った作品を収録順に紹介しよう。

 「不死医院」では人間のアイデンティティの問題が描かれる。不治の病に侵された重病人が健康な体になって戻ってくるという病院。主人公の母もほとんど死にかけていたにもかかわらず、健康な体になって帰ってくる。それはクローンなのか、にせものなのか。昔からよくあるテーマだが、現代的にアップデートされており、揺れ動く主人公の心情に二者択一ではない人間というもののグラデーションがうかがわれる。そのあいまいさこそが人間なのだろう。

 「愛の問題」の主題もまさにスーパーAIと人間の心との食い違いであり、それが「愛の問題」なのだ――というとちょっと陳腐に聞こえるが、さすがによく考え抜かれている。著名な人工知能学者が自宅で刺され、植物状態に陥る。現場には彼の息子と、スーパーAI執事がいた。家族の問題にデータと論理で対処しようとするロボット執事と、正しくなくても歪んでいてもそれも愛の形である人間との不幸なミスマッチが描かれる。

 「人間の島」は本格SFだ。「愛の問題」のさらに未来の物語かも知れない。ブラックホールの探査に行き、その向こうに居住可能な惑星を発見した宇宙飛行士たちが地球に帰還する。しかし地球はスーパーAIの世界となっていた。脳にチップを埋め込んだ人間たちが機械と共に統計的に正しいとされる方向を向いて平和に暮らす世界。もちろん宇宙飛行士たちにとってはディストピアとしか思えない。ここで機械にはない人間性として強調されているのは「情動」である。字面だけみればありきたりだが、作者の思弁はここでも深い領域にまで及んでいる。この作品に伊藤計劃を思い起こす人もいるだろう。

 「乾坤(チェンクン)と亜力(ヤーリー)」は短いがユーモラスな中に同様なテーマを織り込んだ傑作だ。こちらは神のごときスーパーAIである乾坤(チェンクン)が、幼い人間の子どもである亜力(ヤーリー)といっしょに遊び、その子から学んで理解しがたいものを理解しようとする物語である。これまでの重い中編から一気に浮揚し、明るい未来への展望を見せてくれる。そこには互いに学ぶという視点があるのだ。

 2021年2月


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