60年代SFの変革者たち ヴァンス・アーンダールほか

 大野万紀

 早川書房「SFマガジン」00年2月号掲載
 2000年2月1日発行


 60年代というとその前半と後半では大きく印象が異なる。前半は戦後も一段落した平和な円熟期という落ち着いたイメージがあるのに対して、後半はヴェトナム戦争、学生反乱や異議申し立ての、嵐のような変革期というイメージがある。SF界も、前半は50年代の栄光がゆっくりと衰退していく、あまり特徴のない停滞期(もちろん次の世代の作家たちがそこで力を蓄えていたのだ)であるのに対し、後半はニュー・ウェーブ運動ときらびやかな若い巨匠たちによってくっきりと色づけされている印象がある。

 まあそういった60年代のきら星のような作家たちについては、他のページで読んでいただくとして、例によってここではその他の、印象的な作家・作品を紹介していきたい。

 まずは、個人的に印象に残っている作家たちから。

ヴァンス・アーンダール
 本誌で何度か再録されている「広くてすてきな宇宙じゃないか」(SFM61年6月号/90年10月号)が代表作。これはショート・ショートというべき作品だが、とても印象的だ。少年の若々しさとSFとの幸福な結合。小笠原豊樹氏の翻訳がまたすばらしく内容とマッチしている。こんなに短いのに、SFのエッセンスが凝縮されているのだ。

ノーマン・ケーガン
 「数理飛行士」(『年刊SF傑作選5』創元推理文庫)と「〈不可能〉の四品種」(『時のはざま』ハヤカワ文庫SF)の二作しか翻訳はないが、ポップな数学SFの書き手として、60年代のルーディ・ラッカー的存在だ。「数理飛行士」を最初に読んだとき、SFにはこんな世界も書けるのだと感動した記憶がある。

ジェイムズ・イングリス
 この人も「夜のオデッセイ」(SFM77年5月号/『スターシップ』新潮文庫)ただ一作で知られている。これは短い作品だが、宇宙SFの魅力たっぷりの傑作だ。登場〈人物〉はおらず、人類が滅びた後も果てしなく、遙かな時間と空間の中で宇宙の探査を続ける恒星間探査機の物語。結末のビジョンは美しく、SFの詩情に満ちている。

ロバート・M・グリーン・ジュニア
 60年代のF&SF誌に数少ない作品を発表している謎の作家。66年の「インキーに詫びる」(SFM77年8月号)が傑作だった。(一種の)タイムトラベルと、愛と、音楽と、そして犬の物語。昔読んだときは、スタイリッシュなファンタジイということで記憶に残ったが、ある程度の年齢以上になってから読んだ方が、この切なさは身にしみるだろう。

デイヴィッド・R・バンチ
 「モダーニアの少女のクリスマス」(SFM71年12月号)は、モデランというロボット中心の未来社会を描く連作短編の一編。ごく短い作品ながら、人間性の変容をさらりと描いていて、評価は高い。ただ、一編だけではわかりにくい点もある。その他「実地教育」(『年刊SF傑作選5』創元推理文庫)が翻訳されている(こっちはわかりやすい)。

ジェイムズ・H・シュミッツ
 『悪鬼の種族』(ハヤカワ文庫SF)、『惑星カレスの魔女』(新潮文庫)、『テルジーの冒険』(青心社/新潮文庫)、『ライオンルース』(短編集・青心社)など、どれを読んでも元気のいい少女たちの活躍にほっとする、詩情あふれるスペース・オペラだ。派手さはないが、いずれも楽しく読めるお勧めSFである。

フレッド・ホイル
 現在では評価が落ちてしまったが、20世紀の偉大な天文学者の一人だったことに間違いはない。彼のSFには娯楽性もあり、ハードSFファン以外でも十分楽しめる。『10月1日では遅すぎる』(ハヤカワ文庫SF)は時間・多世界SFの先駆的傑作である。

アレクセイ・パンシン
 『成長の儀式』(ハヤカワ文庫SF)で68年のネビュラ賞を受賞した。SF評論家でもある彼は、あくの強くないハインラインという路線を選んだのだが、どうも失敗したようだ。でも世代宇宙船を扱ったこの作品は、10代の少女の成長を描いてそれなりに面白く読める(だけどやっぱり食い足りない)。

ロン・グーラート
 この人は60年代のロサンゼルス派とでもいうか、「カリフォルニアの現代風俗を誇張したドタバタSFを量産して人気を得た」(浅倉久志氏)作家。けっこう翻訳もあるのだが、これという代表作がない。「金星のイエス人間」(別冊奇想天外77年8月号)や「カメレオン部隊」(SFM79年9月号)あたりが面白かった。

 それから、もちろんニュー・ウェーブ運動の中から出てきた作家たちがいる。

ラングドン・ジョーンズ
 ニュー・ワールズ誌で活躍した、イギリス・ニュー・ウェーブ運動の中心的な作家の一人である。「大時計」「時間機械」「レンズの眼」といった代表作は短編集『レンズの眼』(サンリオSF文庫)に収録されている。心理的・哲学的な時間や、謎めいた機械への偏愛が硬質な文章で描かれ、難解だが雰囲気は一種エロティックだ。いかにもニュー・ウェーブな感じ。

パミラ・ゾリーン
 「宇宙の熱死」(SFM69年10月号)ただ一作で有名になった(他には「心のオランダ」(『新しいSF』サンリオSF文庫)がある)ニュー・ウェーブの作家。エントロピーの増大、宇宙の熱死といった概念を一人の主婦の日常的な意識の世界に持ち込み、当時としては衝撃的だった。極論ではあるが、ハードSFの最左翼という評価もある。

ジョージ・コリン
 ニュー・ウェーブ運動が盛んな頃のニュー・ワールズ誌に短編を何編か発表しているが、翻訳された「マーティン・ボーグの奇妙な生涯」(SFM69年10月号/『世界ユーモアSF傑作選2』講談社文庫)が印象に残っている。スペース・オペラのちょっと下品で過激なパロディなのだが、これが面白い。でもどこがニュー・ウェーブだったんだろう。

デイヴィッド・I・マッスン
 「旅人の憩い」(SFM77年1月号/『忘却の惑星』ハヤカワ文庫SF)は、「ニュー・ウェーヴのハード派」と呼ばれる作者の代表作。黙示録的な戦場と平和な日常を結ぶ相対的な時間の流れ――ホールドマンの『終わりなき戦い』を先取りし、濃縮したような短編だが、印象はむしろ強烈だといえる。

M・K・ジョーゼフ
 ニュージーランドの作家。『虚無の孔』(早川書房)はスペース・オペラ的なプロットをニュー・ウェーヴの手法で消化した「内宇宙のオデッセイ」。非宇宙で遭難した四人の巡る変容した世界は、ディックを思わせる衝撃的イメージに満ちている。

 この他、60年代の作家とはいえないが、60年代に忘れられない傑作をものしている有名作家たちがいる。例えばジャック・ヴァンス。〈魔王子〉シリーズや、「緑魔術」「月の蛾」といった作品。フリッツ・ライバーの『放浪惑星』や、「影の船」「変化の風が吹く時」。フィリップ・ホセ・ファーマーなら《階層宇宙》シリーズや、「宇宙の影」「紫年金の放蕩者たち」。ゴードン・R・ディクスンの「コンピューターは語らない」もこの時代の傑作だ。

 1999年12月


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